自分はこの環境に必要とされているか?
と考えることがある。
自分の性格や長所や短所は一番自分が知っていると思う。
ただそれは"自分から見た自分"であって
他人からみた自分はまた違うだろう。
正確には
"自分からみた自分"
"自分から見える、他人が見る自分"
"他人から見える、他人が見る自分"
"他人から見える、自分を見る自分"
もはや理解が難しいが、4つの見られ方が存在する。
この話は勉強不足なのでまた後で。
今日は何を残したいかというと。
自分がこの環境・この組織で100%力を発揮できているか?
[自分は他人に必要とされたい。〕
これは言うまでもなく、人間の根幹にある欲求。
いわゆる承認欲求。
お前がここにいてくれるとこんなメリットがある。
ここの組織には君が必要だ。
君がいて雰囲気が良くなった、業績が上がった。
なんて言われると気持ち良いだろう。
自分も30数年生きてきて、
やはり人に認められる瞬間や結果を残した瞬間の気持ちよさは
すさまじいものを感じる。
バスケの例でいうと中学時代は補欠で
"必要とされている"と感じることは少なかった。
高校に入ると、レギュラーが定着し
"必要とされている"と感じることは多くなった。
以降、社会人に入ってもレギュラーで活躍することは多く
必要とされている と感じる場面は多かったと思う。
※ただしこれは 「レギュラー=必要とされている」
という数字で分かる、"自分の試合への貢献度"を捉えているもので
実際に必要であったか、自分の代わりに他人が出ていたら?という話は無視。
必要とされていない頃と必要とされている頃の
バスケに取り組む姿勢は雲泥の差があった。
はたから見れば中学時代からコツコツ努力を続けていたのが
成長期と共に花開いただけ なのかもしれないが、
やはりモチベーションは変わった。
もし万年、試合にでれず
自分の実力が試合の結果に結びついていないのであれば
あんなに努力することは出来なかっただろう。
という経験からも、
必要とされるということはすさまじいエネルギーを生むことが分かる。
以前に記事でも触れた、
社内での評価への疑問。
(後日、上司から返答がきて部署長までの評価は覆っていないことが判明…)
1年間での実績評価は勿論不可欠だが、
"自分にどんな人材になってほしいか"
がそれ以上に重要。
ここがあまり多く伝えて貰えないのである。
上の話と結びつけると、
自分のどんな能力が必要とされているかのイメージが湧かない のだ。
会社にとっての目指すべき人材の指標は勿論あるが、
個人の長所短所にフォーカスしたフィードバックがされないと、
この必要とされているのは、
確実で量産性のある、くそ真面目な機械 なんじゃないかって思えてくる。
実は自分が組合の役員を始めたのも
"自分に向いていること"を模索した結果であった。
他の人がやるより自分がやったら面白く出来るんじゃないか?
って思ったから立候補した。
【自分からみた自分】
ここの会社は自分に向いているのか?
【自分から見る、他人が見る自分】
ここの会社に必要とされているのか?
自分の能力を最大限活かすことが出来ているか。
自分と話す習慣にしよう。
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